嫁として、はじめてのお盆で感じたこと

子どもの頃、イヤだったお盆

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わたしは、父と母と姉の4人家族で育った。

 

小さな頃は、お盆と正月には1日だけ決まった日に

父の実家である親戚の集まりに行ったものだ。

 

しかし、それはけっして楽しいものではなかった。

 

父は7人兄弟で、その嫁や旦那、その子どもら と、

たくさんの親戚が集まるのだが、

その空間は、

母が小姑からイヤミを言われていたり、

兄弟でだれが一番給料をもらっているか、

その子どもたちのなかで一番勉強できる子は誰か、

そんなバカげたランクづけがはじまるからだ。

 

 

母はそのことを気にし、わたしたち姉妹に、

おじいちゃん家に行く用の正装を毎回買って用意し、

きちんとした身なりをさせ、

騒がない、お行儀良くして、直箸はダメ 

そんなことをよく言っていた。

 

父はとても家族想いで優しいひとだったが、

サービス業だったため、仕事で来れないことが多かった。

 

そのため、母をかばってくれる人はおらず、

ほかの子たちが許されることでも、

わたしたち姉妹では皮肉を言われることに繋がる。

 

小学生高学年くらいになると、だんだん嫌気がさしてきて、

別に行かなくてもいいやとも思ったりもしたのだが、

建前上、母だけは必ず顔を出さなければならない。

 

ひとりで行かせるのは子どもながら心配だったため、

中学生になった姉が行かなくなってからも、

わたしは祖父が亡くなってから3年近く、

その集まりがなくなるまで母について行った。

 

たしか、高校を卒業して3年くらい経った頃までだっただろう。

 

 

結婚後、初めてのお盆

 

そんな感じで親戚の集まりがあるお盆に

あまりいい思い出はなかったのだが、

 

父の親戚の集まりがなくなってから、

結婚するまでの3年間は、

 

お盆は家族みんな仕事、

正月は家族みんなでおせち料理を食べたり、

三社参りに行ったり、姉と買い物に行ったり と、

いたって気ままに過ごしていた。

 

母は、20年以上ものツライ行事から解放されて、

お盆も正月も楽しそうだったのが、なんだか嬉しかった。

 

そして、ついにこないだ

結婚後はじめてのお盆が来たのだ。

 

わたしのなかでは、

 

祖父の家で過ごすお盆、

家族で平凡に過ごすお盆、

そして、

旦那の実家で嫁として過ごすお盆、

 

なんというか、

3段階目のお盆がやってきたという感覚。

 

 

お盆の数日前、

義母にこの家のお盆について聞いてみる。

 

すると、

義母はお盆の間は有給を使って仕事を休み、

13日の朝から15日の夜まで、

ご先祖様を迎える郷土料理やだんごを作ったり、

いつお客さんが来てもいいように、

墓参り以外はずっと家にいるとのこと。

 

その時、

お盆は先祖を迎えるためにある行事なのだ

と、あらためて知った気がした。

 

祖父の家に行けば、

真っ先に仏壇に手を合わせることはしていたが、

習慣化とでも言おうか。

 

会ったこともない先祖に対して、

ご先祖様おかえりなさい

と、思ったことがなかったのだ。

 

そして、迎えたお盆の初日。

 

料理は手伝わなくていいから、昼過ぎくらいから来なさい

と言われていたが、

そういうワケにもいかないだろう

と、お中元を持って

昼前には夫婦揃って近くにある旦那の実家を訪れた。

 

義母は忙しく料理をしていたが、

義父はゆったりとテレビを観ており、

昨夜遅くに帰省したという弟は二階で寝ているとのこと。

 

玄関に入った瞬間に旦那が腹減ったー

と言ったため、義母からは

ご飯食べてこなかったの? 仏様の分しかまだ作ってないわよ

と言われてしまい、

すぐさま家族みんな分のファーストフードの買い出しを頼まれた。

 

料理の手伝いに来たはずが、

というか、

この土地に伝わるお盆の郷土料理の作り方を

教えてもらいに来たはずが、

旦那のヒトコトで、

ご飯の心配をさせてしまったあげく、

早く来た時間がただの買い出しの時間に終わってしまった。

 

結局、買い出しを終えて家に戻ると、

手伝おうにも料理はほぼ終わっていて、

義母は仏様用のいくつもの小さな器に

郷土料理やだんごなどをのせていた。

 

ポテトが冷めないうちに食べなさい

と、義父、義弟、旦那、わたしの4人は

食卓で食べ始めたのだが、

義母は座って食べ始めたかと思えば

ハンバーガー1個とポテトだけじゃ腹が満たされない男たちのために、

また席を立ち、蕎麦を湯がきはじめる。

 

義母がゆっくり座ってご飯を食べ始めたのは、

みんなが食べ終わり、ポテトが冷えきった頃だ。

 

食事が終わってからも義母は

片付けや洗濯、掃除など、

忙しそうに動き回っている。

 

手伝おうにも、

いいよ、座ってテレビでも観てて と。

 

義母がせかせか動いているのに、

のんきにテレビに集中できるほど、

わたしの神経は図太くないらしい。

 

もう一度、手伝いますと言った方がいいのか、

あまり出しゃばらない方がいいのか、

そんなことばかりが脳内を巡り、

手伝わせてもらった方がどんなに気が楽かとも思った。

 

その後、

やっと義母から仕事を任された。

 

義父と一緒に墓参りに行くから、

その間にお坊さまがいらっしゃったら、

お布施とお茶を出すという仕事。

 

お盆や器、お菓子の準備は義母がして、

わたしは冷蔵庫から麦茶を出して、茶器に注ぎ、

お経が終えた後にお布施と共にお出しするというだけ。

 

この家では、毎年お坊さまにお願いして、

お経をあげてもらうそうだ。

 

わたしの祖父の家では、

初盆やなん回忌でもない限り、

お坊さまがお経をあげることはなかったし、

ましてや自分でお布施を渡したという経験もない。

 

たったお茶とお布施を出すだけのこの行為が、

なんだか緊張する。

 

その不安を悟られないよう義母に返事をし、

義母と義父は墓参りへ出かけた。

 

留守番で家に残ったのは、

義弟、旦那、わたしの3人だ。

 

男兄弟というのは話をする方ではないらしい。

同じ空間にいても、会話がない。

これはこれで緊張する。

 

しばらくすると、

インターホンが鳴り、お坊さまがいらっしゃった。

 

座敷にお通しし、

上座から義弟、旦那、わたしの順で座ると、

すぐにお経がはじまった。

 

お経が終わるタイミングが分からず、

そろそろお茶の準備をした方がいいのか、

ちゃんと終わってから席を立った方がいいのか、

またつまらないことが脳裏を巡る。

 

もう終わるであろう最後の方で

旦那にアイコンタクトを取って席を立ち、

お茶とお布施を持って座敷に戻ると、

ちょうどお経が終わった。

 

いいタイミングで、初仕事を終えることができたのだ。

 

 

キッチンに立てた喜び

 

お坊さまが帰ったタイミングで、義弟も外出。

 

家に旦那とわたしの2人になったところで、

ふと気が楽になる。

 

その後、墓参りから戻った義母と義父と共に4人で、

近くに住んでいる義父方のおばあちゃんの家に顔を出す。

 

30分もいただろうか、案外短くて驚いた。

実家に戻ってからは、すぐに夕飯の準備だ。

 

手伝いますと言ったら、はじめてエプロンを貸してもらった。

お昼に仏様用に作った郷土料理があるので、

唐揚げのみを作るようだ。

 

義母が漬け込んでいた肉を揚げているのを見ながら、

付け合わせ用のサラダの材料を切った。

 

いつも料理をしているはずなのに、

義母の隣で包丁をにぎるのはやはり緊張するものだ。

 

義弟も帰宅し、みんなで食卓を囲む。

 

食事が終わったあと、

いつもどおり義母は食べたお皿をそのままにしていいと言うが、

一度キッチンに立たせてもらい、

食器用のスポンジがどれかも分かったため、

はじめて食器洗いもできた。

 

自己満足かもしれないが、

わたしにとっては

ちょっと嫁に近づけたかなと思えた

いいお盆だった。

 

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